結婚は人生の墓場なのか、アラサー婚活において考える

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「結婚とは人生の墓場である」と、ボードレールというフランスの詩人が語ったと言われます。

事実はまったくそういう文脈で使われたわけではないのですが、日本では誤った意味で広く使われるようになっています。

「結婚は人生の墓場」という言葉をそのままの意味でとらえると、結婚することにより個人としての自由がなくなり、仮に新たな出会いがあったとしても「既婚」という制約に縛られて自由に動くことはできないというような意味合いになるのではないでしょうか。

おそらく日本において使われているケースではそのような意味で用いられていると思われます。

しかしもう少し深く考えると、結婚が「人生の墓場」になるということは、つまり自分に代わって生まれくる新しい生命としての「子」の誕生に繋がり、主役が自分から子へと移り変わるという意味でとらえてはどうでしょうか。

人間が広い意味での動物である限り、親から子へ、次から次へと受け継がれていくことがすなわち生きるということであるはずで、結婚の否定と子の否定は、代替わりを拒否しいつまでも自分が主役であり続けたいという現代人特有の病のようなものなのかもしれません。

個が重視されることにより、結果人としての大きな流れが失われ、親から子への伝達が断ち切られ、世代は移り変わらなくなってきています。

ひと昔前であれば大問題であったはずの「お家断絶」も、普通にあり得る世の中となり、子孫が残せない人たちがどんどん増えてきています。

増え続ける地球の人口に対する日本の人口の増加率の停滞は、すなわち近代国家における動物性の否定によるものなのかもしれません。ただ、ある程度のところで種の増加にブレーキがかかるということは、地球の将来として考えると望ましい流れなのかもしれません。

発展途上国のような人口増加率を全国家が維持すれば、地球は人間にとって狭すぎる星になってしまいます。

婚活は大きく考えていくと、地球全体の問題になってくるという、なんだかとても大きな話になってしまいます。それでも身近な問題としては、とにかく積極性をもって出会いを作り出すしかありません。

その能動的な行動力こそが人間の動物としての本能であるはずなのです。理性を保ちながらも本能を大切に、異性への飢えをもっとあからさまに体現してみてもいいのではないでしょうか。